*-* 2005年07月の日記 *-*
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  生後三日目
◆2005年07月05日(火)◆  
 昨日は出張で片道2時間の車旅。
 途中、出産に立ち会った疲れからか、それとも仕事で累積した疲労からか、手足の感覚が無くなっていき、両目ともの視野に虹色の四角い枠が生じてピントが合わなくなる、と言う事態に見舞われコンビニに急停車させるという事態が発生した。
 何とか回復させた後、赤ちゃん本舗でひぐのお尻拭きときばのパジャマの替えと産褥ショーツの予備を購入して病院に向かう。病院できばとひぐの顔を見た途端、それまでの疲れがどっと出て来て、付き添い者用のソファーベッドで半時間ほど眠り込んでしまった。


 起きた時には、きばの夕食が運ばれてきていた。このI産婦人科、食事が美味しい事でかなり有名らしく、家からの近さもさることながらその「美味しい食事」に惹かれて我々はこの病院に決めたのだった。出て来た食事をみると、第一印象は「充実した食事」。何がって、量が。これ、産後の女性の喰う量なのか…?と目を疑ってしまう量。きばはもともと小食。半分程度でギブアップ、オレが残り半分を食べさせてもらった。ウン、結構美味。成る程、人気があるのも良く分かる…と思った。

 親の夕食の後は、ひぐの夕食タイム。すやすやと寝ているのだが、起こしてミルクをあげないと。手を触ってみる。原始反応で握りかえしてくる。かわいい。足をつついてみる。ひゃっ、っと、足をすくめる。か、かわいい。ほっぺをツンツンつついてみる。苦悩に満ちた表情を浮かべながら「うにゅぅぅぅぅ」と声を上げる。か〜〜〜〜〜〜わ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜い〜〜〜!!
 か、可愛すぎる。実にぷりちーだぜ我が娘。それはそれとして、ナゼここまでされて起きないんだ我が娘。飯だって言ってんだろうが。揺すってもつついても何しても起きない。最後の手段とばかりにおむつ交換。胎便が出ていたのでお尻拭きも行う。さすがに反応。よし、起きたか、と思いきや、おむつ交換終了と同時にまた爆睡。ベッドから持ち上げてもなお手の中で眠り続ける。………この貪欲なまでの睡眠欲求は、きっとお母さん似だと思うな…いや、オレも時々立ったまま寝るけど。寝る子は良く育つって言うけど、でもちゃんとミルクも飲まないと大きくならないぞ?



 この後。母乳はまだあまり出ないのだが、きばのオッパイを吸わせる練習をさせた後、哺乳瓶で粉ミルクを飲ませる。ゲップが下手な子で、なかなかゲップしなかったが、それも何とか成功。ただ今度は泣きやまない。普段は大人しいのに、妙に泣いている。オレの方は帰る時間が迫っていたので、きばにひぐを任せて病院を後にした。帰ってから、きばからメール。



「あの後、助産師さんがさらにミルクを飲ませたら機嫌良く寝たよ」







…絶対、大きくなるよ、この娘(笑)。





 なお、この後Diaryにもある漏水事故が起きたわけである。いやもう。わやくちゃな一日でしたがな(^^;)。

 今日は、きばの両親がひぐに逢いに来られたらしい。お義母さんは二度目、お義父さんは初めての対面だ。お義母さんには、退院後も来て頂く予定。オレが仕事から帰って病室に行った時にもいらっしゃって、昨日の顛末などを話した。一応部屋の中も見ておいてくれたらしく、昨日干した洗濯物を取り込んでくれていた。
 今日は、付き添い食を頼んでおいたので、オレも病院食で夕ご飯。…でもやっぱり病院食なんてもんじゃなく、オレですら十分満足できる。ていうか正直美味い。明日からも付き添い食を頼んじゃおうか、と笑いながら話した。
 そしてひぐはまた、その笑い声の中ですやすやとお休み中。今日もやっぱり、オッパイの時間になってもなかなか起きなかった。飲み終えた後のゲップは出ず(と言うより空気飲んでないっぽい)、オレの肩に頭を乗っけたまま入眠体勢。このまま、よく寝る子になってくれると良いんだが。何はともあれ、今が可愛いので全てヨシ!!


  〜そして親バカへ〜
◆2005年07月04日(月)◆  
 ウチに娘がやって来て、12時間後。これからもっとも娘を見続けるであろう"眼"がやって来た。



 Panasonic NV-GS250



ついにDVカメラ買うてしもうた。本当ならば、今日の朝から欲しかったんだけど…まぁ、出産中は撮ってる余裕なんてさらさら無かったしね。これからこれから。撮りまくって溜めまくって取り込みまくってビデオ編集とかしまくって焼きまくるわけだ。配りまくるかどうかは知らんがな、ワハハハハ。





 …いやぁ、気持ちいいくらいバカだわオレ(笑)。


  決戦の日曜日
◆2005年07月03日(日)◆  
 5時に起きたオレが見たのは、5分間隔の陣痛に苦しむきばの姿。腰が特に痛いらしい。ホルモンが骨盤を広げる時にかなり痛みが発生するのだとか。腰を押してあげると少しは和らぐようだったので、お義母さんと交代して今度はオレが押し続ける。押しながらもまだ意識が遠のこうとする。きばが呻く。オレの意識戻ってくる。指圧する。陣痛の波が引く。きばが落ち着く。オレの意識が拡散していく。延々と繰り返し。

 6時頃、一旦分娩室に移動、内診を受ける。まだ子宮頸菅が堅いらしい。少しずつ開いては来ているようだけど、まだ生める状況じゃない。陣痛室で待機。そこでも痛みに耐え続ける。どんどん苦しみ方が強くなり、いつ果てるとも知れない痛みに耐え続けているきばの顔にも疲労が滲み始めていた。

 7時半頃、もう一度分娩室に戻る。この直前に「立ち会い出産はどうされますか?」と聞かれた。以前、きばと二人で話していた時は「立ち会い出産どうする?」と聞いたら、「え〜止めとき〜、きっとショック受けるよ」と言われ、確かに血などにあまり強くないオレはキビシイかもな…と思ってもいたのだが、この状態で「いえ、結構です」などと言うはずもなく。「可能ならばお願いします」と、全員で分娩に臨む事になった。

 分娩室に入っても、なかなか「いきんで良し」のお達しが下りない。この頃になると、陣痛も完全に定期的で強いものになって来ていたので先程の機械が役に立った。逐一変化している数字を見ていると、大体陣痛の波が来るのが分かり、その度に指圧の力やきばの手を握っている、その手に込める力を調整する事が出来る。そうして8時が過ぎ、5分10分と時間が過ぎていき、8:15頃にようやく「いきんでいきましょう」のGoサインが出た。








 そこは、戦場だった。飛び散る汗。血液。皆が必死の形相。握る手に、支える手に、抑える手に加えられる渾身の力。逸る気持ち。飛び交う怒号(主にきば)。そう、医療の現場とはいつも戦場だ。あんなに強烈に妊婦の腹を押さえて良いのか?と思ってしまうほどに力を加える医師の姿は、鬼気迫るものがあった。ちなみに後で見たら、きばの腹は痣が出来まくっていた(笑)。





 最初の数度の挑戦では、上手く頭が出てこなかった。恥骨結合の部分が狭いらしく、どうしてもそこを通りにくいのだ。しかし、少しずつ頭は見えてきているから、もう少し踏ん張ってみよう…ということで行った幾度目かの挑戦。オレは真横で見ていたのだが、頭がグググ、っと出てきた。次の瞬間、するりと抜け出てくる赤ちゃんの身体。出て来たその場で、すぐに産声を上げた。おかげで赤ちゃんの色が変化する瞬間、と言うのを見落としたわけだが、まぁこの際元気に産声を上げてくれたので良いとしよう、と言う感じだった。
 心配されていた、「気持ち悪さ」や「ショックを受ける可能性」だが、皆無だった。赤ちゃんが出てくるところを余すことなく見させてもらったわけだが、むしろ感動した。きばは生み終えた直後はもう放心状態だったが、オレは少しだけ、涙が出てしまった。3分後くらいには後産があり、胎盤が出てきた。それも間近で見たが、何一つ気持ち悪くなく…むしろ、10ヶ月に渡ってきばと娘を繋いでくれていた存在と思うと、とても大事なものに感じられた。




 2005/7/3 8:33。うちの娘が、誕生した。2,504g。成長が遅い遅いと言われ続け、それで居ながら1週間も早く出てきた人は、ギリギリ低体重児にならなくて済んだ。小さく産んで、大きく育てよう。放っといてもワシら夫婦の子供だ、デカくなる事は運命づけられているのだが。
 思えば、色々あった妊娠生活だ。小さいと言われた時には二人して底の底まで落ち込み、絶望し、計算方式が変わったことで体重の見直しがなされたら比較的普通の数値で問題無かったので安堵し、しかし卵巣嚢腫と言われてまたちょっと不安になり、しかし次の検診以降はそんなものは見あたらず、まだ産まれまいと思っていたら陣痛無しのいきなり破水。それでいて実質の分娩時間自体は10分程度、分娩室に入ってからだと1時間、入院から13時間で出産まで行ったのだから、安産だと言えるだろう。
 改めて、産まれてきてくれた事に感謝。きばには、産んでくれた事に、感謝。そして、これからが本番。三人で頑張っていかないとね。まぁ、おじいちゃんもおばあちゃんもおじちゃんもおばちゃんも、沢山のヒトに囲まれての幸せな成長が約束されている部分もある娘だが(笑)。頑張って、幸せを掴んでいこうね。

 奇しくも、昨晩分娩のあったお子さんとうちの娘と、二人だけが新生児室にいた。この病院は比較的早い段階から母親と子供を同室にする方針との事で、お産を終えたばかりで体力の戻っていない母親の子だけが、新生児室に入れられるのである。その男の子のベッドに付いているプレートを見て驚いた。その子の誕生は、2005/7/2 20:32、2,504g。ほぼ12時間遅れ、体重は全く一緒。不思議な縁と言うヤツなのかも知れない…そんな事すら感じた。












 でもダメ。ひぐにはまだ早すぎますっっ!!!!<アタリマエだ


  それは突然やってきた
◆2005年07月02日(土)◆  
 土曜日は、平日と違ってオレが仕事で遅くならない為、早めにご飯が食べられる。この日も比較的早めに(とは言え19時は回っていたのだが)ご飯を食べ、さてちょっとゆっくりしようか…と、きばは横になって身体を休め、オレはテーブルで仕事の資料に目を通そうとしたその時。きばが、突然起きあがった。何も言わないが、何かを感じとっている表情。さすがに、分かった。破水した。19:40。


 すぐに病院に電話。即入院と言われ、準備しておいた入院グッズを手に病院へと向かった。陣痛など全く無かったはず。少し普段よりも張りやすく、ピリピリした痛みはあったにせよ、よく言われるような『押し寄せるような痛み』はきばは感じていなかった。おしるしも無い。なのに、突然の、破水。早すぎないか…少し小さめのはずなのに。そんな不安も過ぎったりはしたが、何はともあれ破水したのだ、早く病院で見てもらう必要がある。
 …ところが、病院に着いてもすぐには診てもらえなかった。先客が居たのだ。すでに陣痛室に入っているらしく、そちらの処置が先になる。一旦仮の部屋に通されて、お呼びが掛かるのを待つ。結局診察してもらえたのは21時ごろ。やはり破水していたようで、点滴と子宮頸菅熟化剤(?)を打って、一晩様子を見る方向性で決定。方向性が決まったという事で両家の親に電話をする。きばのお母さんはすぐに来てくれる事になった。ウチの母親はどうするんだろう…と思ったら、まだ韓国に行っていた(笑)。姉貴が育児絡みで腱鞘炎を起こしているので、かなり心配して逗留を伸ばしているらしい。それじゃ仕方がない。まぁ、お産の時って、割と嫁の家の方が病院なんかに詰める事が多いようだし、この時点では全然陣痛も来ていなかった為に、二人して「来てもらってもなぁ〜」程度の感覚で居た。
 一旦、オレは慌てて出てきた部屋の整頓と、持って来るのを忘れた物を取りに部屋に帰った。整理をしている内に、きばからメールが来た。お義母さん到着との事。オレも急いで病院に戻った。


 病院に戻ると、状況は次なるフェーズへとシフトしていた。
 点滴はもう終了したらしく、次には何やら機械が登場してくる。赤ん坊の心拍数と、陣痛の強さを計る機械らしい。超音波を使うものなんだろうが、助産師さんがきばのお腹に聴診器の親玉のようなものをベルトでセット。心音が聞こえ始め、心拍数がカウントされる。同時に陣痛の強さがデジタル数値化されて表されると同時に、グラフにも描かれる。この頃になると、少しずつ陣痛が強まり始めていた。陣痛の強さを示す数値が一気にアップすると、きば自身も痛みに顔を歪める。しかしここで息を止めてしまうと赤ちゃんに酸素が行き渡らなくなり、心拍数が減少する。
 装置をつけて、二回目の陣痛だった。かなり強い。グラフの最大値が100のところに、87の陣痛。時期的にはまだこんなのが来る時間帯じゃないのだが。あまりの痛みに一瞬息を止め、ビクッとするきば。ハッとなるオレとお義母さん。消える心音。




…消える心音!?



あかんがな心音消えたらあきませんがな、ちょっと〜、じょ〜さ〜ん〜し〜さ〜〜〜〜〜〜ん!!




「あ、外れましたね〜動くとずれちゃって、正確に取れませんから、
動かないようにしてくださいね〜。」








…アンタ、陣痛で苦しんでる人にソレはちょっと(T_T)



でも確かにその通りであるわけで、もう少し気を付けないとね、と話をしている傍から三度目の陣痛。次は比較的軽そう。でも一瞬歪むきばの顔。思わず装置に目がいくオレ&お義母さん。消える心音。今度は慌てない。コレは単にパッドがずれただけだから。二度も同じことでビックリなんてするもんか、こっちもオトナなんだし。そして続いて鳴り響く警告音。







ビーッッビーッッビーッッ!!






アカンて!!警告音鳴ってるて!!この鳴り方は危険な気がする。だってBIOSのBEEP音ならDRAMの差し込み不良だよ?下手すりゃ一発昇天ものだよ?そんなマニアックな解釈は置いといて心拍計の警告音て警告音てけいこくおんてじょ〜さ〜ん〜し〜さぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜ん!!






「あ〜、外れましたね」







…そんなに簡単に外れる機械使うなやぁぁぁぁ!!ソレほど正確とも思えんし、イタズラに家族の不安煽って楽しいか楽しいのか固羅。この時点での陣痛はまだ15分間隔だったために、やはり一晩様子を見よう、と言う事に。オレもお義母さんも完全泊まり体勢。

 ただ、どうにも連日の疲れが取り切れていないオレ、日が変わった辺りで起きている事が非常に労力を要する行為に。きばからもお義母さんからも、寝るように奨められ、確かに肝心な時に体力を失っていても仕方がないから…と、1時頃に仮眠を取らせてもらう事にした。途中、何度もきばの苦しむ声や助産師さんが出入りする気配に目を覚ますものの、5時まで休ませてもらえたおかげで、ソレなりに疲れが取れた。そしてオレが起きた時、きばの陣痛は5分間隔になっていた。


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