*-* 2007年08月の日記 *-*
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  ちょっとお散歩へ
◆2007年08月05日(Sun)◆  
この日は、子供達が朝から機嫌が悪かった。余りに機嫌が悪いので、取り敢えず散歩でも…と思い、RadioFlyerに乗せて、まぁ30分ばかし…と思い出発した。
ちょうど今、ぐりもひぐも風邪をひいていて、熱は下がったものの、鼻水が少し出ている状態だったので、それで機嫌が悪いのもあったと思うし、あまりの遠出は子供達を疲れさせるだけというのは自明だったので、長くても30分…と思っていたのである。せいぜい、近くにある飯給山の辺りまで…と思っていた。


大泣きするひぐを無理矢理乗っけて、大泣きするひぐを乗せたRadioFlyerを引っ張りながら、大泣きするひぐを宥め賺しつつ、大泣きするひぐのその大音声をBGMに飯給山まで歩き始めた。途中、人家が遠のくにつれて、泣いても無駄だと悟ったか、ひぐは泣き声のトーンを次第に落としていった。何、この猟奇的な文章!?


やれやれ落ち着いたか…と思って後ろを振り返ると、おかしい。二つあるはずの頭が、無い。ひぐはつい今し方まで泣いていました、という顔でこちらをキョトンと見つめている。だが、ぐりの頭が…無い。ぐりの頭部が存在すべきであるところの、ひぐの後ろの空間は、ぽっかりと ―まるで、神隠しにでも遭ったかのように― 空いている。





 昔、オレが小学生の頃、飯給山で不思議な体験をしたことがある。当時、小学校の低学年だったろうか。飯給山は、遊び場の一つだった。勿論この場所が古墳であると言うことは知っていた。古墳と言うことは、昔の人のお墓である、と言うことも。そしてまた、当時、飯給山にまつわる不思議な伝説…飯給山に居る大蛇を見、高熱を発して死んだ人の話などを、本でも読み、また親からも聞いたりなどして、密かに恐れている場所でもあった。

 ある日、オレは友達と飯給山で遊んでいたのだが、いつもとは違うことをしてみようと言うことになり、普段の下山ルートとは異なる道を通った。下山もくそも、高さがわずかに十数メートル程度の小さな山なのだが、小学校低学年には、迷うに充分な ―かつ、伝説の記憶が生み出す怯えは、パニックを容易に発生させる― 場所であった。

 いつもと違う場所に出てしまい、最初は冒険譚的な高揚感を覚えたが、次第にそれは不安感へと変化していった。一度は不自然に平らにならされた、塚のようなものがある場所へと出てしまい、もしやこれが墓であるのかと錯覚し、禁忌を犯したのではないかとの懸念はさらなるパニツクを引き起こした。桑畑の桑の間をすり抜け(要するに畑なんだから日常の連続でしかないのだが子供には分からない)、萱を掻き分け、ようやく普通のルートに辿り着いたときには、安堵と精神的疲労からどっと疲れが出てしまった。


 今でも、たった十数メートル程度のその山、昔の豪族が自らの墓として恐らくは自然にあった山を流用し、そしてその後そこに地蔵が祀られ、社が建造され、地蔵盆の時には子供達が行燈を奉納し、皆で花火を楽しんだりする、生活の中に溶け込んだその変哲もない山に、神域のような静謐さと犯しがたい禁忌を感じてしまうのは、その経験から来るのかも知れない。







その山の、普段の参道ではない、横の方の道から入って来る山裾 ―日陰であり農作業用の舗装されていない、あまり人の通らない道― で、それまで激しく泣き止んでいたのにピタリと泣くのを止めた娘。あるべきはずの空間に首を据えていない息子。犯すべからざる神域を、また犯したのか・・・・・・・・・・・・
















・・・・・とまぁ、0.001秒でも思うはずはなくてな。




いきなり寝てくさった。





余程眠かったらしい(笑)。言うまでもなく、ここからは猛スピードで自宅へ直行。散歩途中で、ああも見事に眠られたのは初めてだった(笑)。


 

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