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ぐり、退院
◆2006年07月11日(Tue)◆
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この一ヵ月ほどの間、あまりの忙しさにこちらの更新など全く出来ずにいた…幸い、今日はお義母さんに手伝いに来ていただいているので少しだけ余裕も出来ている。
ぐりの退院の日、オレは特別休暇をもらって休んでいた。学校では体育祭の当日であったと言うことは勿論秘密だ(笑)。この日のためにチャイルドシートをぐり用にセッティングし直して、オレの車で家まで運んだ。…尤も徒歩5分の距離ではあるわけだが、やはり生まれたてのぐりと、産褥期真っ最中のきばだけに、大事をとって。割と蒸し暑い日だったので、その選択をして正解だったと思う。 産まれてきたときは産道で圧迫された結果、頭がまるでインカ帝国の壁画のような形をしていたぐりだったが、幸い入院期間中に随分と元に戻ってきていた。少し黄疸がキツかったと言うことで、放射線療法を受けていたらしい。だからといって日焼けしているわけでも無さそうだ(当たり前だ)。
家に帰って来て、早速ベビーベッドにぐりを寝かせる。
…デカい。
デカいデカいとは思ってきたがまさかコレほどとは(笑)。ひぐの時には、割と長期間ベッドに対して横向きに寝かせていたのだが(途中からベッドを嫌がるので寝かせなくなったのだが)、この子、最初っから横向きが結構厳しそう。これが1.2kgの差か。さてこの子はベビーベッドで寝てくれるようになるんだろうか…?何の問題もなく成長してくれるだろうか…?どんな子に育つだろうか…?様々な思いを抱えながら、年子二人の育児が、始まった。 |
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ぐり誕生
◆2006年07月06日(Thu)◆
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昨日、オレは高島まで出張に行ってきた日。午後からお義母さんが来てくださっていてひぐを見ていて下さったし、ぐりはぐりで、おしるしから一週間以上経過してもとんと音沙汰無し…ってんで、きばがもう一度、見てもらいに産科に行ってきた。
さすがに遅い、ってんで、産科で子宮頸菅熟化剤を投与してもらい、様子見。ひぐの時もこれを投与したことで一気に陣痛が進んだのだが、果たして…
そして、効果はあった。
夜中の2時。きばに起こされる。7分間隔で陣痛が来ているらしく、急いで準備して産院へ。即、分娩室に通される。経産婦であること、今までの経緯、もろもろでの対応と言うことだろう。オレもそのまま立ち会いで分娩室に。ちなみにひぐは、お義母さんに残って見ていただくことにした(無論爆睡中)。 ひぐの時も立ち会いをしていたから大体のことは覚えているのだが、それにしたって今回の出産はペースが速い。あっというまに陣痛の間隔が5分になり3分になり、産院に着いた直後の内診では7cmだった子宮口は、1時間後には8cmに、さらに45分後には9cmに…と、するすると出産に向けてのカウントダウンが始まっていく。当然ながらきばの痛みもいや増していくわけで、腰を押し続けているオレの身にも疲労が急速に溜まっていく。しかも眠い(笑)。いつまで続くんだろう…と言う思いを抱えつつ、しかし今回に関してはかなり冷静に予測がつき、そう時間はかからないだろうと思いながらその時を待った。
そして、ついにいきみ開始。今回は子供が大きいので、いきむのが上手いきばもかなり手こずっていた。とは言え、6回目のいきみで頭が出て来て、そのまま回旋しながら首まで抜け出て、そして身体、足と、後はするりと出て来た。5:30。病院に着いてから実に3時間強で産まれてきた。ひぐの時も初産としては早かったが、今回は(おしるしからの日数さえ無視すれば)更なるスピード出産だ。 ひぐの時にはまだ髪の毛が生えそろっていない状態だったが、今回はバッチリ、黒々とした髪の毛が生えていて、手足もしっかりとした、男の子だ。元気な産声に、「あぁ、ようやっと生まれたか」と感慨が押し寄せた。これからが大仕事なのだが、まずは一仕事完了した、と言う満足感。きばもぐったりとしながら、満足げな表情を浮かべていた。
ひぐの時も、立派な胎盤と臍帯だと感じたのだが、今回はさらに輪を掛けて…といった立派さ加減。しかも、赤ん坊が生まれてくるときに臍帯を首に巻き付けて…という話は良く聞くのだが、この息子と来た日にはたすき掛けにしていやがった。そら、おしるしの後も子宮口の方に下りてこないわな。何の気合いを入れとったんだおまいは。
テキパキとお医者さんと助産師さんが処置を施していく。ぐりは、体重を計りに横の部屋へ連れて行かれた。助産師さんが「うう、重い…ッッ」と呟きながら。ちなみに、昨日の検診では推定3,200g程と言われていたから、ひぐと比べたら、そら随分と重いよなぁ…と思いながら聞いていたのだが。横の部屋から、助産師さんの声が届く。
「3,788gです!」
うおおおう。実にひぐの1.5倍と来たか。ウチの家族の誰も達成し得なかった重量である。ひぐの時が小さかったから、極力安静を図った結果が、次は対極の超重量級ベビィですかい。最近の赤ちゃんで3500超えはかなりデカいということになる。あはははは、それじゃ頭もデカいから苦労するわ。
何はともあれ、元気で産まれてきてくれて良かった。一姫二太郎。言うこと無しの万々歳である。また、お義母さんが居て下さったときで幸いだった。例え3時間のスピード出産でも、ひぐを連れて(当然起こすことになる)で出産となると、さて無事終えられたかどうか…自信が持てない。ま、尤も、お義母さんがいらしたから、検診にも行き、薬も投与されての陣痛だったわけだが。
…ちょっと待て、もしお義母さんがいらっしゃらなかったら…?ぐりよ、お前いつ産まれるつもりだったんだい!? |
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それはそうと。
◆2006年07月04日(Tue)◆
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「1歳になったら写真は出さない」とか公言していたと思うんだが。
可愛いんだよなぁ〜。
嗚呼、どうしよう。
というか、この頃、顔がシッカリしてきたせいか、角度やライティング、表情などによって色々と写真に変化が出て来た。そういう意味で、撮っていても面白い。一眼レフとか買っちゃおうかなぁ…とか思うほどである。
で、自分達だけで楽しむんだい♪次はぐりだ。うひひ。
…で、いつ産まれるんだよ、ぐり?<まだ気配がないんですが(笑) |
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Happy Birthday !
◆2006年07月03日(Mon)◆
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祝えヤロー共。
ようやく…と言うべきだろうか。否、むしろ「もう」1歳になってしまった我が娘。1年があっという間だ。この1年間が目まぐるしく忙しかったのもあるだろう。2人目の妊娠もまた、この矢の如く飛び去った時間の速さを助長しているとも言えるだろう。オレが年を取ったのも関係するか?良い意味で、父親になってから年を取ったことを実感できる。その1年間、結局大病もケガもせず(実際熱一つ出していないのだ)、順調に成長してくれた我が娘に心から感謝したいと思う。
コレから、どんな娘に育っていくんだろう。世間では小さい子供が犠牲者になるニュースが毎日のように飛び交っており、こちらの目、耳にも入ってくる。正直、イヤな思いだ。これからこの娘達が成長していく社会だ。10年前、もう少し世界はゆっくりと、狭く、のんびりと動いていた気がする。しがらみや束縛も多かったとは思うが、しかしそれらは同時に、子供達を大きな「壁」で護っていた気がする。我々もまた、その壁に護られて生きてきたのでは無かろうか。今後を生きていくこの娘達の「壁」になれるものは…?言うまでもなく、自分達親だと考えると、自分の背負うべき責任の大きさに、身が引き締まる思いがする。尤も、逃げ出したくなどなるはずもない、矢でも鉄砲でも持ってくればいい。むしろ喜んで壁になろう、と思う。その覚悟を、この1年間、常にこの娘の笑顔、泣き顔、寝顔、全ての表情と全てのこちらに向けられる感情から与えてもらった実感がある。そうとも、父親になると言うことは、壁になり、護る、と言うことだ。
だから当然「お嬢さんを下さい」などという不届きな輩は壁に押しつぶされてしまうが良いよ。
て言うか圧し潰す(笑)。それが父親の唯一出来る事…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ<ひたってます |
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