*-* 2005年07月の日記 *-*
PAGE : 1

  決戦の日曜日
◆2005年07月03日(日)◆  
 5時に起きたオレが見たのは、5分間隔の陣痛に苦しむきばの姿。腰が特に痛いらしい。ホルモンが骨盤を広げる時にかなり痛みが発生するのだとか。腰を押してあげると少しは和らぐようだったので、お義母さんと交代して今度はオレが押し続ける。押しながらもまだ意識が遠のこうとする。きばが呻く。オレの意識戻ってくる。指圧する。陣痛の波が引く。きばが落ち着く。オレの意識が拡散していく。延々と繰り返し。

 6時頃、一旦分娩室に移動、内診を受ける。まだ子宮頸菅が堅いらしい。少しずつ開いては来ているようだけど、まだ生める状況じゃない。陣痛室で待機。そこでも痛みに耐え続ける。どんどん苦しみ方が強くなり、いつ果てるとも知れない痛みに耐え続けているきばの顔にも疲労が滲み始めていた。

 7時半頃、もう一度分娩室に戻る。この直前に「立ち会い出産はどうされますか?」と聞かれた。以前、きばと二人で話していた時は「立ち会い出産どうする?」と聞いたら、「え〜止めとき〜、きっとショック受けるよ」と言われ、確かに血などにあまり強くないオレはキビシイかもな…と思ってもいたのだが、この状態で「いえ、結構です」などと言うはずもなく。「可能ならばお願いします」と、全員で分娩に臨む事になった。

 分娩室に入っても、なかなか「いきんで良し」のお達しが下りない。この頃になると、陣痛も完全に定期的で強いものになって来ていたので先程の機械が役に立った。逐一変化している数字を見ていると、大体陣痛の波が来るのが分かり、その度に指圧の力やきばの手を握っている、その手に込める力を調整する事が出来る。そうして8時が過ぎ、5分10分と時間が過ぎていき、8:15頃にようやく「いきんでいきましょう」のGoサインが出た。








 そこは、戦場だった。飛び散る汗。血液。皆が必死の形相。握る手に、支える手に、抑える手に加えられる渾身の力。逸る気持ち。飛び交う怒号(主にきば)。そう、医療の現場とはいつも戦場だ。あんなに強烈に妊婦の腹を押さえて良いのか?と思ってしまうほどに力を加える医師の姿は、鬼気迫るものがあった。ちなみに後で見たら、きばの腹は痣が出来まくっていた(笑)。





 最初の数度の挑戦では、上手く頭が出てこなかった。恥骨結合の部分が狭いらしく、どうしてもそこを通りにくいのだ。しかし、少しずつ頭は見えてきているから、もう少し踏ん張ってみよう…ということで行った幾度目かの挑戦。オレは真横で見ていたのだが、頭がグググ、っと出てきた。次の瞬間、するりと抜け出てくる赤ちゃんの身体。出て来たその場で、すぐに産声を上げた。おかげで赤ちゃんの色が変化する瞬間、と言うのを見落としたわけだが、まぁこの際元気に産声を上げてくれたので良いとしよう、と言う感じだった。
 心配されていた、「気持ち悪さ」や「ショックを受ける可能性」だが、皆無だった。赤ちゃんが出てくるところを余すことなく見させてもらったわけだが、むしろ感動した。きばは生み終えた直後はもう放心状態だったが、オレは少しだけ、涙が出てしまった。3分後くらいには後産があり、胎盤が出てきた。それも間近で見たが、何一つ気持ち悪くなく…むしろ、10ヶ月に渡ってきばと娘を繋いでくれていた存在と思うと、とても大事なものに感じられた。




 2005/7/3 8:33。うちの娘が、誕生した。2,504g。成長が遅い遅いと言われ続け、それで居ながら1週間も早く出てきた人は、ギリギリ低体重児にならなくて済んだ。小さく産んで、大きく育てよう。放っといてもワシら夫婦の子供だ、デカくなる事は運命づけられているのだが。
 思えば、色々あった妊娠生活だ。小さいと言われた時には二人して底の底まで落ち込み、絶望し、計算方式が変わったことで体重の見直しがなされたら比較的普通の数値で問題無かったので安堵し、しかし卵巣嚢腫と言われてまたちょっと不安になり、しかし次の検診以降はそんなものは見あたらず、まだ産まれまいと思っていたら陣痛無しのいきなり破水。それでいて実質の分娩時間自体は10分程度、分娩室に入ってからだと1時間、入院から13時間で出産まで行ったのだから、安産だと言えるだろう。
 改めて、産まれてきてくれた事に感謝。きばには、産んでくれた事に、感謝。そして、これからが本番。三人で頑張っていかないとね。まぁ、おじいちゃんもおばあちゃんもおじちゃんもおばちゃんも、沢山のヒトに囲まれての幸せな成長が約束されている部分もある娘だが(笑)。頑張って、幸せを掴んでいこうね。

 奇しくも、昨晩分娩のあったお子さんとうちの娘と、二人だけが新生児室にいた。この病院は比較的早い段階から母親と子供を同室にする方針との事で、お産を終えたばかりで体力の戻っていない母親の子だけが、新生児室に入れられるのである。その男の子のベッドに付いているプレートを見て驚いた。その子の誕生は、2005/7/2 20:32、2,504g。ほぼ12時間遅れ、体重は全く一緒。不思議な縁と言うヤツなのかも知れない…そんな事すら感じた。












 でもダメ。ひぐにはまだ早すぎますっっ!!!!<アタリマエだ


 

2005年7月
前月<< 今月 >>次月
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

◆2008年01月16日(Wed)◆
救急へ(1年ぶりくらい)
◆2007年08月05日(Sun)◆
ちょっとお散歩へ
◆2007年07月30日(Mon)◆
日記補完計画 そのA 「戦場、惨状。」
◆2007年07月28日(Sat)◆
日記補完計画 その@ 「西池の蓮」
◆2007年07月22日(Sun)◆
RadioFlyer その後

最新の日記を表示 ホームへ戻る



Login:


Skin Designed by Million System (iMc改造) HiDiary Ver 1.11 (C) Million System