*-* 2004年11月の日記 *-*
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  食事に気を遣ってみる(2)
◆2004年11月25日(木)◆  
 とにかく、つわりの時期は『食べられる物だけを食べられる量だけ』食べればいいと言う時期。特に栄養に気を遣う必要はないと言う。赤ちゃんは、お母さんの体に蓄えられた栄養を使って成長していくらしい。

 この日の晩は、とにかく食べやすいときばが喜ぶトマト、そしてきばのリクエストで『長芋のお焼き』。長芋をすり下ろし、そこに卵を加え、塩・胡椒で味を調えてあとは焼くだけ、というシンプルなものである。適当に中に具を入れることも出来る。なお、ジャガイモだともっとシッカリしたお焼きになってボリュームもあるが、長芋の方は比較的量が食べやすい。また冷や奴も食べた。何はともあれ、少しは食べられるので安心していた。


  食事に気を遣ってみる(1)
◆2004年11月24日(水)◆  
 きばが食欲が無さそうなので、ネットや「はつたま」などから仕入れた情報を元に、食事内容の見直しを図ってみる。料理している時の匂いは勿論のこと、カルキ臭や生ゴミの匂い(まぁこれは当然)などが全くダメなので、この日から完全にオレが家事全般を仕切った。

 ダメだったのが『米』。ご飯の炊きあがる匂いが辛いらしい。月曜日にはおにぎりを持たせるとちゃんと食べ切れていたのだが、二日経ったこの日はもうおにぎりも食べきれない状態になっていた。なお、白米ならまだマシなのだが、雑穀米などは匂いが強くなる為に食べられなかった。また、ネギやタマネギのようなものも辛いらしかった。
 何より、『温かいもの』全般が吐き気を誘うらしかった。この時はきば曰く『一日中宿酔の様な気分』とのことだったので、そりゃぁ確かに温かいモノは気持ち悪いかも知れない…と理解。味が薄いのも気持ち悪さを増幅させるらしかった。

 この日、夕食のメニューとして用意したのは冷や奴、とろろマグロ納豆。冷トマト。生姜や紫蘇などの香野菜と合わせると食べやすさが増すようだった。


  勤労感謝の日
◆2004年11月23日(火)◆  
 いや、本当にこの日は感謝した。休日であることに。

 文化祭前からクラス展示の手伝いやら文化祭のレポート作成の準備(職場では情報発信の担当もしているのである)などでヘトヘトだった上に、金曜の夜には河毛に里帰りして、土・日は二十二日講の手伝い、とんぼ帰りして月曜日にはきばのつわりの悪化、と盛り沢山だった何日間かの疲れがドッと出て、オレが参ってしまった。偏頭痛のような痛みが終日続き、我々夫婦二人して、ほとんど一日中床に臥せっていた。

 それでも夜になってくると体調も戻り始めた。スープや野菜の煮物など作って食べる。それにしても、妻が妊娠中の夫は体調一つ崩してはいけないのだと実感。摂生に努めようと改めて思った。


  押し寄せる吐き気
◆2004年11月22日(月)◆  
 この日から状況が一変した。

 これまでは多少の吐き気を催すこともあったが、それは一時的なもの、例えば調理をしていて強い食物の匂いを嗅いだりした時などに限定されていて、しかもすぐに消える程度のモノだった。
 ところがこの日の夕方、きばから『助けて、吐き気が止まらない』とメールが届く。とうとう来たか…という感じ。急いで帰ると、居間できばがゴロゴロしてる倒れている。断続的に吐き気が訪れ、何も口にする気にもならないらしい。特にこれこれこういう事をしたから…というわけではない吐き気。とにかく、『コレで安心・妊娠出産事典』と『初たまごくらぶ』を読み漁り、今後の方針を立てる。

 この日の夕食は、二十二日講の食事の余り物をもらってきていたのを食べた。まだ、この時点では食が喉を通っていたのだ。


  実家に帰る
◆2004年11月20日(土)◆  
 金曜の夜から実家へと帰省。

 滋賀の湖北には『二十二日講』というモノがある。『おこない』ほど知名度は高くないが、法事としてはかなり大きめのものになる。50年に一度しか回ってこないというこの二十二日講の『お宿』としての役目が、今年、ウチに当たっていたのである。また間の悪いというか何というか。
 「乗如上人」という方の軸が各門徒の家を『お宿』として渡り歩くこの仏事、とにかくその準備が大変。特に家の一階を全部開け放たなければならない為に、1年程前から徐々に準備を行ってきた。そして、日曜日に行われる二十二日講の食事等の準備の為、我ら夫婦は土曜頭から母親の手伝いが出来るように前々日の夜から河毛入りしていたのである。

 まぁそれにしても、すごい量の食事。75人前ほどを準備するのだから、その量たるや半端ではない。里芋170個って、何?サラダをたらいで作った経験って、今時の都会の主婦なら無いんじゃ?…と、その量に圧倒されながらも準備を進めていく。

 実はこの日、まだ実家には妊娠を知らせない事にしていた。というのもまだ胎嚢が確認されただけだし、それに折角手伝いに帰るのに、忙しい最中気を遣わせているんじゃ却って迷惑である。きば自身はとにかく無理しないように、オレはきばの体調に気を配ることを何度も自己確認しながら、迷惑をかけないことを最優先に手伝おうと考えていた。

 少しずつではあるが、つわりは始まりつつあった。だから、時折きばが苦しそうな表情を見せることもあり、かなり心配したのだが何とか乗り切れたようだった。二番目の姉もヘルプに帰ってきてくれていたこともあって、負担は最小限に抑えられたと思うし、何よりまだ症状が軽かったことも幸いした。賄いもちゃんと食べられたし、帰宅時には彦根まで(車で約45分)運転していったのだから。


 …しかし、今から考えると運転は無謀だったよな〜(笑)。


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