*-* 2005年05月の日記 *-*
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  気付けば2ヶ月間
◆2005年05月05日(木)◆  
 こちらの更新をしていないということに。いやはや、各所に気を揉ませ続けたみたいで、どうも申し訳ない。

 つか、大変だったのだ。色々と。

 もういつのだったかは忘れたが、何回目かの検診の時に、「ちょっと成長が遅れている」というようなことを言われた。オレはその辺の知識が大して無いので「そうか〜小さいかぁ」程度にしか思っていなかったのだが、なまじ知識のあるきばにとっては、結構なショックだったらしい。家に帰って来てから、ネットで色々検索をかけたりしているか…と思ったら、突然寝室にこもってしまった。
 話をしようにも、殆ど返事をしてくれない。何度も話しかけている内に、ぽつりぽつりと話を始めてくれた。きば曰く、この時期にあまりに小さいというのは非常に心配なのだとか。色んな事を考えていけば行くほど、ひぐまの未来を絶望視してしまう。染色体異常とか遺伝上の問題とか。そんな事はないだろう、何かの間違いじゃないのか…とこちらが話しても、当然知識の上で勝てるはずもなく、様々な可能性が否定されていく。何より、普段から体調が優れずに悪阻でも相当苦しんできた、そんなきばにとって、予想以上に赤ん坊が小さかったというのは大きなショックだったらしい。結局、一晩きばは泣き続け、オレは一晩なだめ続けた。
 そのまま次の日は朝飯も喉を通らず仕事に行き、昼飯も食べられなかった。少なからずオレもショックを受け始めていた。帰宅し、また話し合う。それでもきばはまだショックから抜けきれない。何が決定したわけでもない。何が分かったわけでもない。ただ、少し小さかっただけなのだ。それでも、疑心が生む暗鬼というものは膨れあがっていく。逆に言えば、「何かが分かったわけでない分、不安は募る」という状況。結局この日は夕食も殆ど摂れずに床に就いた。きばはもう泣き疲れていた。オレはといえば、かなり追い詰められつつあった。勿論眠れない夜、途中で耐えきれずに大声を上げた時間もあった。
 一日半にわたって落ち込み続けた次の日、朝飯もやはり食べられずに職場に赴く。昼飯近くになっても殆ど食欲はなかった。そこに、きばから

「少し落ち着いてきた」


とのメール。途端に食事を求めるオレの胃(笑)。現金なものだ。でも、オレにとってはきばが落ち着きを取り戻すことこそが、その時は至上命題だった。とにかく何も分からないのなら、信じるしかない。それがオレの信条なのだ。

 帰宅し、またきばと話し合う。きばは、とにかく最悪の条件を全て知った上で腹を括るタイプ。もうこの時点では、むしろきばの方が落ち着いていた。そうして、落ち込みの一回目の波が過ぎ去ったのだった。都合二日間にわたって落ち込み続け、殆ど眠りもせず、殆ど食べもせず、ただただ呆然としていた様な時間が其処には存在していた。しかし、何とか乗り越えた…と思っていた。


 その次の検診でも、やはりひぐまの大きさは同じように小さかった。超音波検査では、かなり細かい数値まで出されて、それが一般的な成長曲線と比較される。前回も、この回も、成長曲線の一番下のラインの、少し下を行っているようなのだ。少しずつでも大きくなっているようだが、それでも小さいままだ。本当はこの時期に性別が分かるか…とも思っていたのだが、医師もそれどころではないというような様子であった為に、こちらからは言い出す事は出来なかった。結局、この検診でもただ不安が募るばかりで、その後ご飯を食べに行った店(美味しいと評判なのだが)では、全く味を感じず、気まずい時間が流れるだけだった。
 検診の度に、きばは落ち込み、おれは疲弊する時が生じていた。そもそも、普段はどんな重荷でも気力ではねのけている生き方をしているおれは、一旦支えを崩されると途端に脆くなる傾向がある。自分自身に関してはまずそんな事にならないのだが、子供のこととなると別。オレ自身、徐々に余裕が無くなり、きばに冷たく当たる時もあったと思う。




 少し小さいと言われた検診から1ヶ月後の検診。この頃になるとある程度家族などには「小さいと言われ続けてるから、色んな可能性を考えてるし、考えておいて」と言う話をしていた。その度に『そんな心配はないから』と励まされ続け、それで自己を保てているような状況だった。
 今回もまた前回までの繰り返しなのだろうか…?と、半ば怯えながら医院の扉をくぐった。待合室で交わす言葉もどこか虚ろな響きを含む。必要以上に喉が渇き、自分自身の水分はそれまでの涙で枯渇したかのように感じるのに水すら飲みたくない。そんな思いの中、ひたすら検診を待ち続けた。
 診察室に入り、医師の話を聞く。こちらからも、何度も聞いた話かも知れないが、小さいということの考えられる理由などを問い質す。いつもより多めの質問をした。こちらが結構しんどくなっていることも話した。そうしたことを全てぶちまけたからだろうか、医師の説明はいつもよりも丁寧で、そしていつもよりも長い時間をかけてくれた。
 その説明の中で、超音波の診断方式の話が出た。ちょうど数日前に機械を入れ替え、その絡みで赤ちゃんの大きさなどを測る方式を変更したのだ…とのこと。その医師が従来使い慣れている方式に戻したのだという。今までの検診で用いていた方式では、赤ちゃんのサイズは小さめに出力される傾向があるとも聞いた。少し希望が湧く。そして、診察。







 ひぐまのサイズは…成長曲線の、真ん中のラインのすぐ下だった。







 はぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っっ。きばとオレ、思わず顔を見合わせて安堵の溜息。良かった、まだ若干、週数から考えると小さめかも知れないが、あまりにも小さすぎるというサイズではない。前回、前々回、それ以前の検診の結果から考えてみても、ずっと通して同じ期間分だけ小さいという流れで来ている。医師も「そういうものだと思って良いと思いますよ、異常は何も見つかりません」と太鼓判を押してくれた。勿論生んでみるまでは分からない部分は多いのだが、それでも身体の中の黒い澱みの様なものが、一気に消え去った思いがした。

 もう、分からない部分は分からないで良い。小さいと診断されてからこっち、ず〜っと「少しでも大きくなりなさいよ」と話しかけ続けた、その言葉に応えてくれた、この子だから、どんな子だって良い。もともと、出産なんてそんなもんだ。生まれてきて初めて会える。超音波なんてものがあるから心配になるのだ。勿論、超音波のおかげで色んな事が分かるんだろう。それは功と呼ぶべきだろう。でも、その所為で様々な不安を抱えてストレスを溜め込んでしまうのは、親なら誰しもそうじゃないか?それは罪の部分ではないだろうか。事実、その産院で超音波で判明した事実を聞き、半狂乱になったお母さんもいるらしい。
 難しい部分だろう…とは思う。それに振り回されてはいけないんだろうな、と思う。少し昔のオレなら、鼻で笑って「そんなモンに振り回されて」と言っていたんだろうな、と容易に想像出来る。でも、物事って、その立場に立ってみないとやはり分からないものだ。今回は痛感した。




 何はともあれ、そんな理由でまるまる一ヶ月ほど落ち込んでいたというのが第一の理由。Diaryの方にも書いたが、年度始めの仕事が殺人的に忙しかったのだと言うのが二つめの理由。そんなこんなで、非常に失礼をしていたわけだ。
 今では二人とも落ち着いている。一時期はもう、新生児絡みの買い物なんて…と放ったらかしにしていた出産準備も急ピッチで始めた。必要なものをピックアップして、買い物リストを作成し、今日、赤ちゃん本舗で大物以外は殆ど買い揃えてきた。肌着や靴下や哺乳瓶やと、お腹のかなり大きくなってきたきばを引き連れて右へ左へと大騒ぎだ(オレが)。これが可愛い、これはきっとこういう時に役に立つ、これは必要かどうか分からんけど分からんならとりあえず買っとけ、金に糸目は付けん、良い物を買ってあげなくっちゃ、だってだって、








オレのカワイイ娘だしさ♪



ああああああああ、とろける、顔がとろけてしまう。オレって親バカだったのね、やっぱり。いやはや、買い物をしていても「アンタはひぐまにねだられたら何でも買いそう」ときばに呆れられる始末。いやだって、「買って、パパ♪」とか言われた日にゃぁ、そらもうウフフフフアハハハハハハ。



 …物事って。

 その立場に立ってみないとやはり分からないものなんですね(笑)。


 

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