*-* 2007年02月の日記 *-*
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7days war
◆2007年02月23日(Fri)◆
いや全く、嵐のような…と言うよりも戦争のような1週間だった。
[02/16]
きばがひぐとぐりを予防接種に連れていった。ひぐはおたふく風邪の、ぐりは三種混合の2回目。副反応もなく、穏やかな週末になるかと思われた。
[02/17]
ここのところ、ずっときばは体調不良気味で、そこから精神的にもかなり疲れてきていたのでお義母さんが助っ人で来て下さった。とにかく24時間、幼児&乳児の世話で明け暮れる(しかも年子)というのは、想像以上に厳しいモノがある。実際、自分達も生む前はそんな風には思ってもみなかったくらいだ。オレも仕事が一年中で最も忙しい時期の一つに入り、まだ仕事をしている間はそちらに気を逸らしていられるとは言え、助っ人が実に有り難く思えるほど限界風味。しんどい、と愚痴を漏らす余裕すら無いのが現状である。そんな中、きばは少し咳が出るようになり、どうやら風邪らしき症状を呈し始めた。
本来、オレはこの日から近畿大会の引率の予定だったのが、
幸いなことに
あいにくと雪が少ないために大会は中止。おかげで土日だけでなく、月曜日も年休を取ることが出来た。せいぜいきばの負担を軽くしようと、思っていたのだが。
[02/18]
ひぐが少し咳をし始める。どうにもひぐも風邪らしい。ていうか、殆どきばと同じ症状を呈している。これはもしかすると小児科でもらってきたのではないか…との疑念が頭をもたげる。何せ病院なんてのはどれほど綺麗にしていても病原菌の宝庫だ。きばの方が先に症状が出たのは、長期の育児での疲労の蓄積の結果か。
夜、ひぐを寝かせるときに激しく咳き込み嘔吐。寝る前は副交感神経が優位に働くため咳が出やすい。その咳でむせて、嘔吐中枢を刺激されて吐く…と言うパターンがひぐには多い。こうなってくると全く気が抜けなくなるのでさらに大変なのである。
[02/19]
オレは一日年休。子供らの面倒を見ていたのだが、どうも様子がおかしい。ひぐは一日不機嫌。そしてぐりも咳き込み始め、何か疲れた様子である。きばもどんどん症状が悪化、咳も出るし頭も痛い、さらにお腹にまで達した模様で食欲もない。
夜、またひぐが嘔吐。さすがにこの日は予測もしていたので全ての吐瀉物を洗面器でキャッチ。しかしどうにもひぐの身体が熱い気がする。しかもなかなか泣き止まない。そうこうしている内にぐりも泣き始め、きばがあやし始めたのだが、すぐさま顔色が変わる。
「この子熱い。」
急いで熱を測ると38.2℃。まだ様子見が出来るレベルなのでもう一度寝かしつける。この時点で23時。
深夜2時、またぐりが泣き出す。あやすために抱いたその身体は、3時間前とは比べものにならない熱さ。もう一度体温測定を行う。耳温計では不確かなので脇の下で計測。表示された温度は、39.4℃。もうどうこう言うヒマはない。救急受診確定。その騒ぎで起きてきてしまったひぐの体温も測ると、こちらは38.4℃。こちらはこちらで目が離せない。しかもきばは症状の最下点にいるような状態。深夜2:30。移転した草津総合病院まで、深夜の市街をぶっ飛ばした(いえ、ちゃんと安全運転ですよ)。
深夜の救急は、ガラガラだった。オレの前に一組だけ。しかも小児の患者はオレのみ。まず問診票に記入し、体温をもう一度測定する。急いで来たのと、少し厚着をしていたのと、救急の病棟のエアコンが効きすぎていたのと、汗っかき体質が密接に作用して滝のような汗。しかもオレは救急で変な病気をもらわないためのマスク姿。問診票記入時にも体温測定時にも、係員から何度となく「大丈夫ですか?」「行けますか?」と声掛けされたのは、もしかしたらオレの方が病人と思われていたのかも知れない。…て言うか、或いは救急に父親が一人で子供を連れてくるのは非常に珍しい姿だったとか?奥さんに逃げられた悲惨な父親像として映ったとか!?非道いや、きば。
ガラガラなだけに、すぐに診察してもらえた。単なる上気道炎だろうとの診断。まぁそれなら安心…と思い、帰宅。しかし単なる風邪ではあっても、当人にしては痰も絡むし呼吸もしづらいのだろう、なかなか寝付かないし泣き叫ぶ。その泣き声がまた、普段の怪獣のような声ではなく、息が漏れると形容した方が相応しいようなか細い泣き声。余りに可哀相で、こちらも物理的にも感情的にも寝ることが出来ない、そんな状態で一晩過ごした。
[02/20]
朝、相変わらずぐりは呼吸がしづらそう。ヒーヒー言う泣き声もますますか細い。幸い熱は少し下がった様子だが、この日からオレは出勤しなければならず、かといってこんな状態のぐりを、これまた風邪で呼吸が苦しいきばに、これまた微熱を持ったままどこか調子のおかしいひぐと一緒に看病してさせることは出来そうにない。早朝にお義母さんに相談。すぐさま駆け付けて下さった。誠に毎回ご迷惑ばかり掛けているが、実にお義母さんの存在に助けられている。
出勤して1時間ほど経った時に、きばからお義母さん到着の旨メールが届いた。やれやれ安心して仕事に戻る。この日は授業の数も多かったが、何よりこの時期は入試や卒業絡みや何やと、とにかく仕事が多いのである。大急ぎで仕事を片付けている内に、またきばからメールが来た。かかりつけの小児科(風邪をもらった場所)に見せに行くとのこと。まぁ、救急で一度診てもらっただけだからそれが正しい対処でもあるし、ひぐがまた日中に吐いたらしい。ぐりも相変わらず良くないらしい。
オレもすぐさま帰路につき、徒歩でやって来た四人(ひぐ&ぐり、お義母さん、きば)よりも早く小児科に到着。ギリギリ滑り込みで診察してもらえた。ひぐは診察室でも嘔吐。インフルエンザ検査はどちらも陰性で、幸いインフルエンザでは無い事は判明。ただ、喉がどちらも腫れているらしい。きばもついでに診察してもらったが、やはり皆同じ風邪をひいたようである。それでも単なる風邪で良かった、との安堵を抱きながら帰宅したのだが。
[02/21]
昨日の晩はぐりは殆ど寝なかった為に、特にぐりの寝かし付けを担当して下さったお義母さんもほぼ完徹状態であろうと思われた日。いうまでもなくその事を知っているオレも殆ど寝ていない。しかし、この日は確実に遅くなるであろうと思われた、会議2連発&入試事務てんこ盛りの日。兎にも角にも少しでも早く帰れるようにするけど、と言い残し仕事へ。
この日も、風邪引き三人衆は調子激悪状態で居たらしく、しかもぐりの咳がだんだんとか細くなっていった為に、心配したお義母さんの勧めで、草津総合病院に行くことになったらしい。もちろんオレはそんな事とはつゆ知らず。さてコレから会議だ…という時に、きばからのメールが届いた。
「ぐり、入院。」
…飛び上がるほど驚いた。会議室を抜け出し電話で確認。クループ症候群とやらで、緊急ではないが、点滴の都合などを考えると入院した方が良かろうと言うことになったらしい。しかし入院ともなると準備とか何かと大変である。上司に連絡して、すぐさま家に飛んで帰った。そこできばから連絡をもらい、入院用の準備を整えて病院に。
そもそもオレ自身は入院をしたことがない。また、最近病院そのものにほとんど行っていないので、まず勝手が分からなかった。何をどれほど持っていけばいいのか。大人の入院ならばまだ分かりやすいが、乳児の入院となるとサッパリだ。しかも付き添いの人間が必ず必要になるので、荷物としては必要以上に膨れあがることになる。パンパンに膨れあがったスポーツバッグを抱え、オムツを山ほど入れた袋を持って駆け付けた。
ぐりは、病院のベッドの上で御機嫌そのものだった。点滴をし始めたら、途端に調子を持ち直したということである。それでも表情も硬いし、何よりもオレが行くまでの間、入院の手続きを行ったり病室で長時間待機したりした、きばとひぐの疲労度がかなりのものと思われた。お義母さんと相談の上、ぐりにはお義母さんが付いて下さることに。全くもって申し訳ないにも程があると言いたくなるほどにお世話になりっぱなしである。帰宅してすぐにご飯を食べて、親子三人で就寝。またひぐが軽く嘔吐。それでも恐らく病院で眠れていないであろうお義母さんの苦労に比べれば…と思いながら床を拭いた。
[02/22]
お義母さんが金曜日はどうしても休めない(と言うか、水曜日の予定だけの所を火曜から木曜まで休んで下さったのである)、と言うことであったので、時間割調整の為にこの日は鬼のように働く。可哀相だったのは生徒達かも知れない、何せ普段ならサブマシンガンで撃たれる程度の所を、艦載重機関銃でうちのめされるが如き怒濤の授業展開だったのである。冥福を祈っとこう。
得てしてこういう忙し日に、仕事というものは増える。ある証明書の出力を別の分掌から依頼され、しかもその証明書出力の為には訂正が必要であるべきデータが直されていないことが発覚し、その処理にてんやわんやになっている所に、システム上どうにもならない文言を「ボカァこうすべきだと思うんだがな」とイチャモン付けてくるヤツまで出る始末。「忙しいんで議論はまた今度」と鼻先であしらい、片っ端から仕事を片付けていく。それでも帰宅予定時間を2時間もオーバーしてしまった。
帰宅後、すぐに着替えてぐりの見舞いに行く。ぐりは昨日よりもずっと表情が良くなり笑顔も出てくるようになった。お義母さんと金曜日の予定について話す。とりあえずこの日の晩はオレが見に来る…という事を伝えて帰ったのだが、帰宅してひぐにご飯を食べさせている間に電話があり、もう一晩見て下さるとのこと、さすがにそこであまりにも粘るのも申し訳ないし、此処は素直に甘えることにした。
夜、ひぐは就寝2時間後くらいにまた非道い咳、しかし嘔吐するかと思われたが何とか自分でこらえた。この嘔吐しそうになる状態をこらえることが如何に辛いことであるかは良く知っているだけに、その健気さに泣けてくる。
[02/23]
朝、8時に病院に行き、お義母さんと交代する手はずを整えた。お義母さんは結局午后から出勤、オレは前日の重機関砲斉射が功を奏して、一日年休が取れた。
準備をしている内にきばもひぐを連れてやって来たので、オレはお義母さんを駅まで送るついでに学校に仕事道具を取りに行くことに。ひぐもぐりも同時にきばが見るのはしんどいので(勿論まだ風邪はひいているし、何より新しい場所ではひぐは緊張しまくるのだ)、オレが連れて行くことに。ひぐ、初の学校デビュー。ひぐを連れて職員室に入ると、皆から沸き起こる歓声。
「そう、オレ達を見て!!このカワイイ我が子を見てぇぇぇっっ!!!!」
…という思いも無かったわけでもないが、しかしどちらかというと何とは無しの気恥ずかしさが先に立ってしまい、必要事項の確認と道具の撤収だけでそそくさと帰ってきた。尤も、それ以上学校にいてもどうしようもないのだが。
一旦家に戻り、昼ご飯を食べさせてからもう一度見舞いに行こうと考えていたのだが、食事中にきばからのメールで退院が決まった由連絡があった。そこで、その時間に合わせて出発することにしたのだが…不安だったのはひぐの午睡、そして案の定、ご飯を食べている最中から機嫌が悪くなり、終わったと同時に寝てしまった。無論、どうすることも出来ないのでそのまま連れていった。すぐに起こされたひぐは、最初何が何だか分からない様子だったが…そのまま車を発進させて、さらに煙に巻いたことはいうまでもない。
ともあれ、14時前には退院。もう一度再検査に来ることにはなるが、とにかくドタバタの1週間だった。あまりにも疲れた。それが第一にして唯一の印象。さすがに気合いで持たせ続けているオレも、若干風邪の症状を呈すようになってきた。今倒れるわけにはいかないので、これ以上は悪化させるつもりはないのだが。そんな、1週間の顛末記。
ちなみに、家に戻ってからのぐりは、軽く咳はするものの元気そのもの。病院では狭いベッドの上しか動けなかったので、そのフラストレーションを解消するかの如く元気にはいずり回っている。まぁ大事に至らず何より。この土日で完全に治ってくれるとありがたいのだが…それにしても、この子達の回復の早さには驚嘆する。これが若さというヤツなんだろう。そして、自分達の快復の遅さをまた思い知らされる。…ま、若くないってこったな(笑)。
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