INDEX NEW トオイカコノヒ 日々雑想

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  プロジェクト-X?
かねてより「某所」であるプロジェクトは進行していた。



それは、オレに関係あるプロジェクトで、今年卒業するオレの教え子達によって計画されていたものである。ヤツらが何か考えていたのは気付いていた。というより、「センセー、今週は学校出て来とる?」と電話で確認されたくらいだから、気付いていた…とかそんなレベルじゃなく、「いつそれが実行に移されるか」と戦々恐々(?)としていたと言っても良い。



今日、それは実行に移された。



オレがすこし職員室から離れていた間に、ヤツらの襲撃があったらしい。そんな事とはつゆもしらないオレは、無防備なまま席に戻ってきてしまった。そう。以前もこんな状況があったように思う。あの時も、朝学校に来たら席に大きな包みがおいてあったんだよ…しかも、今回もまた「Y田君」はしっかりプロジェクトチームの一員だったりする。そして、こんな状況。







 わ ぁ い 。 く ま さ ん が い っ ぱ い だ ー 。<棒読み



…イヤ、マジでビックリした。同時に脱力した(笑)。そして一瞬で理解した。誰の仕業かも。その意図も。その方向性も。コレからシロクマ舎と化して行くであろう我が家の命運すらも。今ですら結構シロクマは居るのだ、色んな"形態"で。またどこかで一度まとめてアップしたい気もするが、今回の子達が仲間入りすることで、さらにパワーアップを果たした我が家。折角だから撮ってみた。








イヤもう、何が何だか(笑)。生活している人間達よりも存在感があるというこのナイスさ具合。まったくもーどうしたもんだろうか、と少し悩み中(笑)。



ただ、スゴく嬉しいのは確か。
3年間、頑張ってきたことが一気に報われた気がする。教師冥利に尽きるとはこういう瞬間、自分が投げたボールを返してくれた(思った以上の力で)時に感じるのかな…と思う。担任という仕事は決して楽ではなかったけど、苦労に見合っただけの喜びを感じさせてもらった。勿論、今回の彼らだけじゃなく、他の生徒達も同様。何より、無事に卒業していってくれたことが嬉しい。


…スーツ姿も見せてくれたことだしね、Y田君(笑)。10年後にまた見せておくれ。きっとその頃には、板に付いてることだろうし。楽しみに待ってます。





2004年3月9日(火) ▲TOP  



  続・吉野家ガンガレキャンペーン
聞くトコロによると、吉野家が遂に豚に浮気したとかしないとか。



 3月から豚丼販売というのは知っていた。ネットの至るところで書かれていたし、何といっても業界最大手の吉野家があんな中途半端なドンブリを出しただけで、ライバル店の豚への転向を手をこまねいて見ているだけとは到底思わなかった。ただ、正確な日時の分からないまま、販売が開始されたら食いに行こう…と、心に決めていた。そうこうしている内にこんなニュースが。


うそん。


 食べにも行ってない内から値下げのニュースを聞くとは思わなんだ。コレは急いで食べに行かねば、と夫婦揃って吉野家襲撃。無論頼むは豚丼…と思いきや、いきなりきばが戦線離脱、いくら鮭丼を頼みやがったこのオンナ。
 実は前々からいくら鮭丼を食べたがっていたきばは、自分の職場の近くの吉野家では出していることを知りつつも、独りで食べるのはオレに申し訳ないと我慢していてくれたのだ。今回食いに行った店(この前の時は出していなかった)がサービスを開始していたので、豚丼一本の中央突破よりも、豚丼といくら鮭丼の二本立てでサイドから攻め上がる作戦に変更。どうでも良いことだが「いくら鮭丼」の読み方はやっぱり『イクラ"シャケ""丼』の方がヨロシイ、と思うのはオレだけだろうか。

 オーダー入れてからものの三分も経っただろうか?多分もっと短い時間で豚丼といくら鮭丼が運ばれてくる。これこれ、コレだよさすが吉野家、この早さこそがファーストフードの真骨頂。トレイに置いて席まで運ぶやり方がこの店独自なのか吉野家全体での潮流なのかは知らないが、何はともあれ早速喰うべ。



 うん。美味い。豚丼、美味いです。とあるサイトでは「牛丼のタレで煮込んでいる」と書いていたけど、そんな感じの味。思っていた以上に豚肉は薄く切られていたけど、その方が臭みも少なく、味もしっかり染みていて美味しかった。また、臭み消しに使われている牛蒡の量が想像以上に多かったのも、牛蒡好きとしては嬉しいところ。並と大盛りしかないのが残念なくらいだ。コレはいける。もう一杯…と言いたくなったが、自分が豚になるのもどうかと思ったので取り敢えずは止めておくことにした。しかしそのくらい美味かった。牛復活後も、コレは定番メニューとして行けるんじゃ無かろうか?ある意味、牛が復活しさえすれば吉野家は最強かもしれない。イヤホント。
 いくら鮭丼は、見た目の通り非常にあっさりとしていて美味かった。コレはさすがにこういうものを専門に出しているドンブリ屋などには敵わないかも知れないな…とも思ったが、それでもこの前のカレー丼や豚キムチ丼に比べれば格段にマシになったような…そんな気もした。



 吉野家は、大学時代によくお世話になった店だ。勿論、友人のtakosanがバイトをしていたというのも良く利用した要因の一つだが、実は大学合格後に部屋を探しに行ったとき、最初に名古屋で喰った"食"でもある。奇しくもtakosanの働く名古屋杁中店。そういう意味では思い出深く、是非頑張って欲しいと感じる。でも多分オレだけじゃない、結構多くの人々に『青春』というもののメタファー的存在の一つではなかろうか。何処か懐かしさと寂寥感を伴いつつ思い出すもの。取り戻せない事を知っている分、つい寄りついてしまうもの。呼び寄せられるもの。我々は「吉野家」という街灯の光が照らし出す『青春の幻影』に惹かれて集まる、羽虫のようなものなのかも知れない。それは一種走光性のような、抗うことの出来ないチカラなのだ。












…イヤ、別に松屋でもええねんけどね。ていうか「青春のメタファー」は言い過ぎよな。てか、どんなわびしい青春やねんな自分。


2004年3月10日(水) ▲TOP  



  名古屋襲撃記録(1)
三月十三日。三月十四日。連休である。

連休なのはいつもと変わりがない。学校が週休二日制になってもう二年近くが経とうとしている。その事が教育に与える影響に関してだったりその善し悪しだったりは、立場上(と言うより考えるのが面倒だし)ここでは書かないことにしよう。何にしても、ここのところ卒業式であったり入試であったり、色々とドタバタしていてなかなかゆっくりと過ごせなかったので、ここらで一つ小旅行でもしようか…と、


木曜の夜に思い立った。


どこに行くかと色々考えてみたのだが、そういえば結婚してからまだ一度も名古屋の友人達にあって居ないし、大学時代最も仲良くしていたTが今ちょうど愛知県は東海市に勤めている。どちらにも会いたいな…という思いがあり、オレが不遇の(有り体に言えばゲームとパソコンの日々)大学生活を過ごした場所を、今度は嫁と歩いて リメンバーパールハーバー リベンジを果たしてやろう…という思いもあり、さらに壊れたモニタの買い換えの下見の為に大須行脚…という目論見もあって、名古屋に行くことにした。そのままTには携帯でメール、文学部の友人達には掲示板で連絡。さらにホテルは


金曜の夜に予約。


…迷惑この上ない計画の建て方である。
しかしまぁ友人達も快く承諾してくれて、ホテルの予約も取れ、新幹線のチケットも入手できたので、いきなりの『名古屋襲撃旅行』が実行されたのである。


3月13日(土)

 この日、草津を8時半に出発したオレときばは、京都駅で乗り替えて新幹線に乗り、10時前には名古屋に到着した。学生時代、在来線を乗り継ぎ1時間半かけて帰省していたことを考えると、「大人ってステキ☆」てなもんである。そのまままずは名古屋大学を見に行くことに。名古屋駅から地下鉄東山線で20分弱、本山駅が名古屋大学への最短駅である…と思っていたのだが、


名古屋大学駅が完成してるし。


 オレ達の在学中、延々工事をし続け我々学生の通行に迷惑をかけ騒音被害を生み出し環境問題を引き起こして学生デモまで発展した名古屋大学駅(一部真実)。平成11年開通の予定ながら前回(H13)名古屋に来たときはまだ完成していなかった名古屋大学駅が、遂に完成したらしい。これは乗らねば…と、いそいそと乗り込む。名城線は、この駅が余程誇らしいらしく、どこの駅でも「名城線 名古屋大学方面」という文句を見た。折角だから、『戻ってきたぜ』という印を名古屋大学駅に残しておいた。

 駅から出てみると、そこは懐かしい名古屋大学…どこも変わっていない。様に。思ったのだが。…なんか違う。良く見たら、


文学部棟に装甲板が。

※近年、戦闘で使用される砲弾の種類が従来の運動エネルギー弾のみならず、HEAT弾と呼ばれるジェット流による装甲貫通効果をねらったものも加わった多種のものになったために、戦車の装甲も単純に装甲板の厚みを増すだけでなく、複数素材を組み合わせて硬度を高めたチョーバムアーマー、中空構造を持つスペースドアーマーなどが新たな装甲板として利用されることが多くなった。(豆知識)

 まさにスペースドアーマーに覆われた文学部棟。もしや、中央グリーンベルトをはさんで理工学部との凄絶な覇権争いが…?とも思ったが、むしろ耐震構造と言うことらしい。最初に見た時には『新築されたか』と思い羨ましがりもしたのだが、装甲板の内側には昔懐かしい文学部校舎が。ちょっとホッとした。
 とりあえず日曜日の連絡も兼ねてtakosanに電話をすると、現在は基本的には部外者は入れない状態になっているらしく、ならばと元関係者、突破を試みた。どうやら何かの発表会か開放講座なぞをやっているらしく、時折ドアが開く。その瞬間をねらって、するりとあくまで関係者のフリをして。







M  I  S  S  I  O  N   C  O  M  P  L  E  T  E .


て言うか普通に入れたし。さすがに土曜日だけに学生も教官も居ないが、昔自分が所属していた研究室の所まで行ってみる。しかし、以前使っていた部屋は現在では他の講座の部屋になっていた。やはり、時間は進んでいたらしい。トイレまでリフォームされていた。あまつさえエレベーターまである。たった五年しか経っていないのに。まだ十年一昔には早いのに。もう、オレの知っている文学部棟ではなかった(微妙に一部だけ)





 オレはもう関係者じゃないのか、と、唐突に理解。<当たり前です

もはやここはオレの居る場所じゃない。後進の学生達が、二日後にはまたこの廊下を闊歩するのだろう。老兵はただ去るのみ。一抹の寂寥感を残しつつ、オレときばは大学を後にした。ていうか見るもん見たし、誰も居ないからつまんなかったし。いや、むしろ不法侵入?





 大学を出てからオレの元住んでいたマンションを見に行ったり(さすがに不正侵入はしなかった)、オレがよく動いていた場所なんかを見たりしながら、杁中から栄まで移動した。
 お昼は『山本屋総本家』で味噌煮込みうどん。いつもながらに固い麺だった(笑)。まぁでも、味噌煮込みうどんの麺がグダグダに柔らかいとそれは味噌煮込みうどんではなく赤だし味のうどんなワケで。きっと東海三県以外の人間からは『味音痴の料理』と思われること必死なわけで。…それでも良いから出来れば麺は喉越しツルリ、が好きなんですがオレは。いや、味噌煮込みうどんは嫌いじゃないんだが、きしめんの方が好きかも。
 ちなみに、名古屋には「山本屋総本家」と「山本屋本店」がある。この二社、エラク競争しているらしい…と言うより、相手を「ニセモノ呼ばわり」している風が。だから、こんな所こんな所でそのケンカ状態が記事にされたりしている。というか、探偵ファイルの記事、ちょうどオレらが名古屋行きを決定したその日。タイミング良すぎ。

 御飯を食べた後、松坂屋でウィンドウショッピングなど楽しんでから、名古屋城に行って来た。実はオレは名古屋に四年間住みながら、一度も名古屋城に行ったことがなかったのだ。普通は大学入試の時や手続きの時に行くことが多いのかも知れないが、その時はオヤジと熱田神宮に行って来たし。初めて行った名古屋城の感想は、「お堀に水がなかった。」なんか『荒城の月』って感じ〜。いや、非常に偏見に満ちた感覚なんだが。荒れてないし。月出てないし。でも何となくそんな気分になった。
 名古屋城自体は楽しかった。今の時期は椿展をやっていたようで綺麗な椿も楽しめたし、やっぱりお城ってのは面白い。特に城のある街に生まれ育った人間としては、城郭というものの持つ雰囲気やそこに存在したであろう歴史浪漫(註・名古屋城は昭和34年に再建されてます)に心惹かれる。人間一人の創造力をはるかに超える壮大な歴史の流れとそこに生きていたであろう、やはり一人一人の人間達の生き様などに思いを馳せるのは非常に楽しい時間である。まぁ、それはそれとして



 抹 茶 善 哉 、 

 美 味 し ゅ う 御 座 い ま し た 。




 一旦ホテルにチェックインした後、名駅までTを迎えに行き、栄の「飯場」という店で食べた。雰囲気も良かったし、店員の態度も良かった。何より料理の一つ一つが美味しかった。ただし、これでもかこれでもかとばかりに料理がでてきて、ちょっと食い過ぎた感はあるが…(笑)。
 久々に会ったTは昔と全然変わっていなくて、非常に楽しい時間を過ごし、話題は全然尽きなかった。2時間半ほどがあっという間に過ぎていったという気がして、まるで大学生の時、いつまでも時間を気にすることなく馬鹿話に興じていたあの頃に戻ったような感覚だった。ただ、話の内容は現在の仕事のことであったり、大学時代の思い出であったりと…やはり、時間の隔たりは存在した。ただ、その隔たりがそれぞれの過ごしてきた時間の充実ぶりを物語るようで、寂しさよりも嬉しさを強く感じた。Tは、あと数年もすれば部下を持つ身らしい。そういう年齢になってきたのだな…と、感慨しきり。オレも一般企業に勤めていれば、同じ様な状況だったのだろうか?比ぶべくもないわけだが、負けていられないな、とも思った。自分で言うのも何だが、ヤツとは最高の友人関係だと思う。

 名残は惜しかったが、Tとは伏見駅で別れ、一日目の名古屋行は終了した。






余談だが、我々がチェックインするときに、外出から戻ってきた若いニーチャンが「鍵、預けたんすけど」「何号室で御座いますか?」「ハァ!?」と半ギレしていた。彼はバカだと思う。

2004年3月16日(火) ▲TOP  



  閑話休題〜モニタ話
PCを使うにあたり、何処に最も力を入れるか?

 ヒトによっては処理能力(CPU、グラフィックボードなど)と言うだろう。
 ヒトによっては記憶容量だというかも知れない。
 ヒトによってはテレビ録画やビデオ編集などのAV系能力と言うかも知れないし、
 ヒトによっては音こそが大事というかも知れない。


まぁ中には「どれだけ萌え要素があるか」が勝負所の人も居るんだろう。


 でもって、オレにとってはそれは「如何に快適に使えるか」だったりする。
 その為には、処理能力は充分に必要だし、
 その為には、記憶容量に怯えることがあってはならないし、
 その為には良い音で聞けなければならない。ノイズなど以ての外。
 勿論


五月蠅いPCなど論外である。
                    静かなPCって、燃える萌えるよね〜〜〜〜。


…結局、オレが一番贅沢なわけですが。

 その中でも『マンマシンインタフェース』は最も重要となるところだ。どれだけ処理が早くて、どれだけスゴい事が出来て、どれだけいい音を鳴らせても、出力する部分と入力する部分でストレスが溜まっては意味が無い。キーボード然り。マウス然り。そして何より、PCからの情報を映し出すモニタ然り。






 そのモニタがお亡くなりあそばしてしまった。






 オレの使っていたのはSONYのGDM-F400、19インチファインピッチトリニトロン管の、当時の準フラグシップモデルだ。19インチながらほぼフルにUXGA出力が出来、画面の四隅も完璧に直角に表示され、色ズレも少なく『ごみ箱』の「ご」の濁点が離れて見える、という優れものだった。19インチでUXGAを表示して、個々のドットがちゃんと判別できるというのは素晴らしいのだ。
 そのF400が3週間ほど前、突然フォーカスがずれてボケボケの画像を出力するようになった。明らかにブラウン管の故障。オレとしてはF400のクリアな表示に満足していたわけだから、そんなものでは納得できず、即修理に出すことにした。…実質は、忙しかったのでそこから2週間ほど掛かったんだが。SONYの修理受付店に持ち込んで、症状を説明して依頼。


 実は、GDM-F400については、ネット上を調べてみると色んな噂が乗っている。修理できないからと、上位機種のGDM-F520に換えてもらったとか、タダで修理してもらえたとか…「構造的欠陥があって、それを隠しているのじゃないか」とさえ書いてあるページもあったほどだ。だから、実は「少しだけ」期待していた。



結果。




11万4400円かかる、とか言われちゃったよベイビー。



うわぁい。払えるワケネー。

 いや、物理的に払えないとかじゃなくて、5年間も使用してきたモニタに、新たにそれだけの金を掛けるつもりはない、って事で。しかもタダで上位機種に換えた人も居たりタダで修理された人も居たりタダで色々とタダで無料でノーマネーで!!!!!…ぜぇぜぇ。何はともあれ、ちょっとそれはイヤ〜ん、ってな事だったので、名古屋を襲撃した際に、幾つかモニタの品定めとかしたりしていた。条件は至って単純。


 ○評判がイイ

 ○色が良い

 ○UXGAが出る



 ね、至って単純。
 後はそこに「CRTだとGDMシリーズ以外では21インチじゃないとUXGAには不満が残りそう」「コレからは液晶の時代だし、消費電力や設置面積や移動の際の苦労を考えるとやっぱ液晶」「でも液晶だと色再現性に不安が…ていうか応答速度とか、どうよ」「今持ってるG450はアナログ出力しかないけど液晶にアナログってのもな」「いやいや、きばの液晶にはアナログ出力でも綺麗じゃないか」と言った程度の、至極当然の悩みが付加されたために、名古屋では購入の日の目を見なかっただけで。

 何といっても、液晶は高い!!コレがネックになる。それでも昔よりは安くなってきたんだが。UXGAの出る液晶はようやく出始めたが、それだけに結構な値段がする。一時はSXGAモデルの液晶(17インチくらい)を二つ、ピボット機能で縦画面にしてデュアルディスプレイか、とも思ったんだがそれも何だか虚しいモノがある。非常に悩んだんだが、迷った末、一機種に絞った。





 NANAO FlexScan-L885




 20.1インチ液晶搭載の、比較的新しい機種である。お値段は…かなりする(笑)。悪名高いPC-successで購入。毎回結構あの店で注文しては腹を立てている気がするが、安さと…信頼は無いが、どうせあの店から一度個人情報は漏らされているので二度も三度も同じ事である、そういった理由でまた利用。セブンイレブン振り込みにしたので、コンビニのおばちゃんのほっぺたを札束でしばきつつ、先に振り込んで商品到着を待った。

 結果として、二日で来た。この時点でPC-successへの評価、少し持ち直し。


 液晶自体は素晴らしい。色再現も充分だし、細かい設定を詰められる。心配していたドット欠けもなく、PC-successで付けた「ドット欠け保証」は無意味に終わりそうだ。最初のウチ、画面がチラチラとちらつくので不安に駆られたが、フェーズ調整で直すことが出来た。出力自体はシャープで滲みもなく、GDM-F400を遥かに凌駕するシャープさである。というより、表示部分はさらにデカくなっているので、気持ち悪いくらいデカく感じる(笑)。時折、ネット上で視野角のことを問題にする人が居るが、それも大して問題を感じない。多少横から見ても全く色褪せないし、そもそも作業中に横から見ることもないわけだし。




 これは、値段分の満足が得られそうだ…。NANAOだから5年保証つきだし。
 久々に満足感。使えば使うほど嬉しい。

 良い買い物をしたと思う。許可してくれた、大蔵省に感謝。





 ※…しかし、今日デジカメが起動しなくなった…呪われてないか、オレ?


  【補足】画面がちらつく問題は、WindowsXPで『ライトコンバイン』を有効にして
      いるからだった…フェーズ調整は関係なさそう。

2004年3月17日(水) ▲TOP  



  退職。(きば)
はい。今日で9年間勤務した大阪市を退職です。

9年間。思い返すと長かったような。短かったような。
ワタシが勤務していた学校は「教育困難校」と噂されていたこともあったらしい学校だったんだけど(実際、初任のころはやんちゃなお子様が多かった…)実際勤務していたら「困難」どころかスゴく幸せで教員として学ぶところの大きい学校だった。

ワタシはあんまり表現するのが得意じゃ無いんだけど。
人間として彼ら彼女らを尊敬するところも多かったし感謝してます。

ありがとう。途中で辞めてしまうこと。ごめんなさい。


教員間も仲が良かったし、ホノボノとした暖かい雰囲気の職場でした。
問題もいろいろ多かったけど。良い職場で働かせてもらって本当に良かったです。

ありがとうございました。先生方に御指導頂いたことを基にして今後も養護教諭として子ども達に真摯に誠実に対応していきたいと思っています。

2004年3月31日(水) ▲TOP  



  千年王国
 Millenniumシリーズを使い始めて4年が経った。

 最初はG400だった。まぁ、Matrox贔屓の人から言わせれば「ハッ、新参者が」レベルの話なんだろうが、最初にMatrox画質に触れた時はビックリしたものだ。色があまりにも違う…と言うのもそうだったが、そのシャープ感に惹かれた。以来、それ以外のカードに移ろうとは思いもしなかった。

 ただ、G400はえらく発熱した。ちょっと不安になるくらいだった。…と言うより、熱暴走とも取れる症状が何度も見られた時期があり、その辺りの不安もあったのでG450に買い替えて使用していた。

 G450の時期は結構長く続いた。GDM-F400との相性が良かったのもあるかも知れない。1600x1200、32bitカラー、75Hzで常用しても問題無いくらいシャープで色乗りが良く快適に使えていた。熱暴走もなかった。まぁWindowsMediaPlayerの視覚効果を使うとマウスポインタが明滅したり、アニメGIFを多用したページだと動きがエラク重くなったりしていたが、許容範囲内だった。



 しかし、ついにこの間GDM-F400が壊れた。修理に出したら11万以上かかると言われ、そんな金は出せん!!とばかりに19万のL885を買ったわけだ(3/17記事参照)。自己矛盾と言いたきゃ言え(笑)。


1x1ドット・32x32pixels

5x5ドット・32x32pixels
 下記の記事の通り、黒と白の市松模様(1x1ドットであったりもう少し大きいもの…右参照→)やPhotoshopのトーンカーブ(自動調整後の歯抜け状態)などを表示した時に、特にヒドくちらつく症状が出ていた。そうでなくても平常時から文字のエッジがちらついたりしていて、常用するには少し厳しいと感じていた。
 最初はライトコンバインの問題かと思っていた。チェックを外すと確かに症状が少し改善したので。でも、完全解消には至らなかったのでもう少し調べてみると…



 どうやらG450の限界らしい。



 アナログ接続で繋いでいたので、そうそう問題になるはずの解像度ではなかったはずなのだが、CRTでは見えていなかった問題点が、LCDにすることで浮上してきたという感じだろうか。他のカード(GeForce2MX)で試してみたり、解像度を落としてG450で確認すると何ら問題が起きないことからも、能力限界であることは明白だった。


 そこで。



 P650(\15,988)
 買っちゃった。



 いや〜、欲しかったんだよ、前々から。ただ、CRT時代はG450で満足していたし、2Dメインである以上は買い換えの必要なかったし、3DメインにするならMatroxでは意味無いし。でも、時折見かけるレビュー記事を読んでは「ハァァ〜〜…」となっていたわけで。以前はバルクでももっと高かったんだけど、ここに来て安くなってきていたのもポイントだった。BLESSで限定10枚の特価品で出ていたところをゲット。昨日届いたので、今日、喜び勇んで装着した。

 P650のドライバは、.NET Frameworkを要求するらしい…(全てでは無いらしいが)と聞いていたので、とりあえずそれが何をするものか未だに分かっていないのだがインストール。とりあえず問題は起きていないようなのでそれで良しとする。イベントビューアになんかエラーや警告の記録が出るようになった気がするのだが、その辺は見ないことにしよう。ドライバのインストールも恙なく終了、心配した相性問題も表示の崩れも何も起きない。


 というか、DVI接続は本当に綺麗だ。当たり前のことだが一つ一つの液晶とドットが完全一致をしていると言った風で、驚くほどにクッキリとした画質が楽しめる。発色はMillenniumシリーズ伝統の色そのものと言う感じ。馴染み深い色だし、コレまでの画像ファイルの設定などを見直さないで済む。


 結果としては、大満足。買い替え大正解。コレからもオレは千年王国の虜囚として生きていく予感がヒシヒシと。…今後、Matroxがコンシューマ向けのカードを出す可能性は低そうだが…

2004年3月31日(水) ▲TOP  


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